螺子巻き冥王性

桐崎連雀



 とかとんとん。

 出囃子と共に、若年の噺家が姿を現す。

 えー、いっぱいのお運びで。

 羽目を外すことを「(たが)が外れる」などど申しますが、この箍ってぇのが竹やなんかでできていまして、こう、輪っかの形をしているのですけれども、今じゃすっかり螺子(ねじ)ってぇのにその役目を取られちまってるわけでして。しかしまあ言葉というのも面白いもので「箍が外れる」と似た言葉に「螺子が緩む」なんて言い回しが御座います。そういった意味でも、物の役目てぇのは挿げ替わっていくものなのでしょうなあ。

 同じく役目がすっかり変わっちまったものに珈琲というものが御座いまして、取った取られたとはちと訳が違うのですが、あれも昔はそんな良いもんじゃあなくてですねえ、なんでも夜な夜な悪しき(まじな)いを執り行うために飲まれた薬なんだそうですな。それが今じゃ嗜好品として、サラリーマンのお父さんから女子高生の娘さんまで、幅広い世代に好まれているわけですけれども。

 喫茶店(きっちゃてん)ってのも、元々は麻薬の取引に使われた場所でして、その名残でしょうか、近年までは愛煙家の憩いの場だったのですが。……どういうわけでしょうねえ、今やお上の禁煙禁煙の御触れの波に呑まれて、一服嗜めねえ喫茶店までありやがる。なんだあ、カフェなんて洒落た呼び方しやがって、女の客の方が多いって話ですあ。あくまで一服なら茶で濁せって、いやあ俗世に一服盛ってやりてえもんです。悲しい時代ですねえ。

 それでまあ、そのカフェとやらではなんでも呪文みてえな商品の注文の仕方をするそうで、フラペチーノのがどうとかアルマジロがどうとか? ほいっぷましましからめるからめへーぜるなっつをちょもらんま……え? それは二郎だろうって? さて知ったこっちゃありませんね。

 えー、そんな風に長ったらしい横文字を並べられるとついアナグラムしたくなるのが人の性。穴兄弟じゃありませんよ、アナグラム。アナグラムってぇのはこうやって文字を出鱈目にあべこべに、天地をひっくり返して上を下への大騒ぎ……とまで大それたものではなくやっていることは実に地味。単純明快ないわゆる言葉遊びのひとつで御座います。これがぁやってみると中々に奥ゆかしいもんでして、ついつい穏やかな喫茶店の雰囲気に呑まれ時も忘れて耽ってしまうんですな。

 こういうわかり易くて面白いものは老若男女問わず好まれます。その日その時その喫茶店でも、アナグラムに興じている1人の女子大生がいた。特に必要はなかったけれども、店員の推されるがままに色々乗っけた珈琲なのか何なのかよくわからねえ物をテーブルの際に置いて、レシート片手に頬杖なんぞ突いている。妙齢のお嬢ちゃんがこうしている様は実に色っぺえもんで御座います。男の1人でも寄ってきそうなもんですが、頭に浮かべたアナグラムを口にしたのがまずかった。

 するとどうか、もけもけぇっと、おどろおどろしい化け物が現れて、厳つい目玉をぎょろりと回し、お嬢ちゃんをじぃっと見つめてやがる。これにはお嬢ちゃんもたまらず声を上げた。

「な、何よあんた!」

「俺かい? 俺は神様だ」

「あ、ヤバイ系?」

「いいや、ギリシャ系だ」

「知らんがな」

「名前はハデス。いわゆる冥王だ」

「聞いてないのに勝手に名乗るなよ……。冥王とか知らないし」

「早い話が、君たち日本人のいうところの死神だよ」

「死神だって? なおさら関わりたくないね。早く消えてよ」

「そんなこと言っていいのかい? ……消えるよ」

「いやだから消えろっつってんだよ。落語みたいなこと言いやがって」

「なんだってんだ、呼びだしておいて。……折角冥府に連れて帰って妾にしようと思っていたのに」

「何を物騒なこと言ってんのさ、おーこわ」

「やめろ話変わっちまうだろうが」

「うるせいごま塩死神が。失せろってんだよ、コーヒー冷めちまう」

「なんでちょっと江戸っ子? あとそれアイスコーヒー」

「黙れ」

「最初はグー!」

「アイコでしょ! ……ねえ死んでぇ?! お願いだからガムシロと洗剤間違えてぇ?!」

「古いよお前さんそれ。あと死んでるから、死神だから」

「生ける死神だっているさね」

「そんな生ける屍みたいに言われても」

「それで、いつまで居座るの」

「共に白髪が生えるまで」

「毛がないよねえ?! いや肉すらないよねえ?! 白髪どころか既に白骨だよねえ?!」

「冥府はいいぞ。着いてきてはくれぬか?」

「聞けよ。……そんなガル○ンはいいぞみたいに言われても」

「冥府はな、ずっと西の方にあってな、具体的に言うとフィンランドあたりだ」

「実在の地域出すのかよ、一気に親近感湧いたな」

「ちなみに夏は避暑地になってるよ」

「観光感ハンパねえ!」

「……お前さんちょっと興味もってきただろ」

「否定はしないよ。けど、誘ってる方が若干ひき気味になるなよ」

「どうだ、ここらでひとつ茶でも飲みながらもっと冥府のことを話してやろうか」

「いや今まさにお茶してたとこなんだけどね。なんかもういいや、何故か周りも騒いでないし」

「そりゃ、俺はお前さんにしか見えないからな」

「なら好都合だ、この際だから色々聞かせてよ」

 とまあ袖触れ合うも何かの縁、男と女ってえのは出逢っちまえばあとは早いもんでして。いやこの場合化け物と女と申しましょうか、ハデスが街を見たいとぬかせばお嬢ちゃんもその気になって色々案内し始めたのでございます。そうして方々(ほうぼう)巡りに巡り、辿り着いたはホテル街。……を通りすぎまして、なんとも厚かましいことに、ハデスの野郎はお嬢ちゃんの家までまんまと押しかけやがった。それでも当のお嬢ちゃんはハデスの術中にはまっていることに気づいちゃあいない。

 歌人、与謝野晶子の一句でございます『やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君』いやあこの死神風情は道なんぞ説きやしませんよ、神様ってえのはどいつもこいつも盛ってていけねえ、ハデスが教えたのはまさしく女ということでして。

 もうお気づきかと存じます、このお嬢ちゃんが後のハデスの嫁さん、ペルセポネなのでございますが……なんともいかれた死神風情がまんまと(めと)らば己を忘れ、螺子を巻かれて羽目を外しゃあ、陽気に浮かれてぱんぱんぱん、あ~ぱんぱんぱんのぱんぱんぱん。そうなりゃこっちのもんだ、ハデスも合わせてぱんぱんぱん。時折ダイアルアップ接続みたいに「ひょろろろろろぉ~」なんて歓喜の雄叫びを上げやがる。

 そうこうして夜な夜な続いた二人の宴、その冷めやらぬ熱は朝陽に包まれながらすぅーっと引けていく。眩しい斜光がペルセポネを射抜き、束の間の恐怖が彼女を襲えば、そこへ黒い影がぬっと出てきて、またしても彼女の意識の螺子を緩ませる。恋は盲目とはよく言ったもので御座いますが、ペルセポネにはもうハデス以外の男性は見えぬのだから無理もなかった。

「ほら、お前さんコーヒー好きだろう。今日はウィンナーコーヒーとやらにしてみたぞ」

 見れば黒い液体の中にハデスのウィンナーがぷかーと浮かんでやがる。それでもすっかり骨抜きになったペルセポネが「ウインナーコーヒーって、そういうことじゃないのに」なんてくすりと笑いやがるもんだから、奴さんまた舞い上がっちゃって、新しいウインナーが……こうみょーんと伸びてくる。そうとあっちゃあコーヒーなんてところではない、昨夜の疲れも何処へやらいきり立ってペルセポネに覆い被さる。

「今朝のモーニングにはお前さんのエッグベネディクトにシーザードレッシングをぶちまけたい所存」

「そう焦らずに。まずはこのイングリッシュマフィンに茹でたてのウインナーを優しく挟んで……」

 おっとこれ以上はいけませんよ、何しろ初夜を越えてえぐいのなんのって、モザイクいくつ貼っても足りゃあしない。狂いに狂った二人の恋路、目合(まぐわ)いだけが番いの要を食い止める。そこに誠の愛があったのかは存じあげません、ただあったのは行為だけ。

 そういうわけでまあ、行為あらば授かり物もあるわけでして。さらに紆余曲折、十月十日(とつきとうか)も経ちゃあ片子(かたこ)が元気にすぽぽぽぽーん!ってな感じに生を受け、名実ともに行為に挿げ替わる(かすがい)となったわけで御座います。……実際ハデスとペルセポネの間に子どもなんていないのですけれどもね、これは作り話ですから、そこら辺は大目に見ていただいて。

えー、それからまた月日は流れて、 ちん坊と名づけられた子どもはすくすくと成長していった。どうやって生計立ててんだとか野暮なこと言っちゃ嫌ですよ、寝る子は育つんです。もうすっかり言葉も話せるようになりまして。それでこのちん坊というのが二人の手を焼かせるほど……馬鹿だった。

「ちん坊、私のおっぺ隠しどこやったの」

「わっかんねえや、おいら頭がボンバヘ! だからさあ」

「何が分からないことがあるかい、あんた今頭に乗っけてんだろう」

「あ、これかあ。あんまり薄っぺらいんでアイマスクかと思ったよ」

「なんてこと言うんだよこの子は……まったくどうしてこんなに馬鹿なんだろうねえ。誰に似たんだか」

 呆れ返るペルセポネの横から、すっと顔を出すハデス。

「そりゃお前さんだろうよ。お前さんが産んだ子なのだから」

「なんだい、私が馬鹿だっての?」

「馬鹿だろう。自分の股座によく手をあててごらんよ」

「普通、あてんのは胸じゃないかい?」

「あてる胸がーー」

「あぁ"ん?!」

「いいから、あててごらんよ」

 ハデスに言われるがままに股間に手をやるペルセポネ、するとすぐさまある事に気がついた。

「あらまあ本当、雌螺子が潰れて馬鹿になってるわ」

 ……じゃあペルセポネはどうやっててめえのガキ産んだんだって話ですけれども。『螺子巻き冥王性』という一席で御座いました。


 噺家が深々と頭を下げると、割れんばかりの拍手がおくられる。

 それに送られるようにして噺家は高座からゆっくりと降りていく。

 ーーさて、最後までご高覧くだすった皆々様へ、悲しいお知らせが御座います。

 お気づきでないかと存じ上げますが、貴方様もまた、すっかり螺子を巻かれてボンバヘ!



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