逃げ傷正木龍之介之詞

ぴち



   1
 内藤新宿の西の端、現在では東京都庁の足元に広がる新宿中央公園から南へ進んだ近くに、江戸の頃は秋元但馬守(あきもとたじまのかみ)の屋敷があった。この屋敷大手門の斜向(はすむ)い、ちょうど十二社(じゅうにそう)通りを南に向かって突き当たったあたりに、いわゆる代々木の町がある。この町の小さな剣術道場の主、正木龍之介(まさきりゅうのすけ)にはおかしな癖があった。
 毎朝、日の昇らぬうちからもそもそと起き出して、内縁の妻とふたりで風炉(ふろ)の灰をかき混ぜ、湯を沸かす。この湯で茶でも点てるというのなら町居(まちい)の武士崩れらしい趣味といえるのだが、夫婦はどこで手に入れてきたのかギヤマンのポットなどを使ってコーヒーを飲む。代々木の町人たちには馴染みのない匂いがあたり一面に立ちこめて、皆、この香ばしさで朝を(さと)るのだ。
 コーヒーを日本に持ち込んだのは長崎出島のオランダ人とされる。幕府の厳しい管理下で薬用品としてながらも普及したのは遅くとも文化元年(一八〇四)の頃というから、龍之介からすればその歴史は浅い。余談だが、元禄の頃に日本語に訳された書物では「古闘比以」などと当て字されている。現在の珈琲という漢字に比べるとまだまだ泥臭い印象だが、この単語が出てくる『紅毛本草(こうもうほんぞう)』では既にコーヒーのことについてかなり詳細な説明がなされている。
 なお、龍之介の生きたこの頃のコーヒーといえば、まだまだ豆を煮出した上澄みを布で()して飲むという初期のネルドリップ方式であり、とても酸味が強い。日本では水腫に効く薬として庶民にはなかなか手の出ない金額で取引されていた。
 そのような品物をどこで手に入れてくるのか。珍しいガラス製の容器類もどうやって入手したのか。近在の親しい人々は不思議がるが、龍之介に直接ただしてみても笑って取り合ってはくれない。
 そして、龍之介にはもうひとつ不思議な習慣がある。
 風呂に行くのは日が落ちてから。夕刻、辺りが暗くなったのを確認して、もう火を落とそうという風呂屋に駆け込む。こちらの癖については特に誰も気にはしなかった。
―――どうせ背中に墨でも入れているんだろう
概して町民たちの意見は一致していた。士官していないとはいえ腰に二本差して名字を名乗る階級の男なら、入墨はたしかに問題を孕むかもしれない。

 このおかしな男が代々木の町に住み始めたのはいつだったろうか。周囲からは、元は剣術道場の娘にとりついた悪い虫……くらいに思われていたのだが、思いのほか腕が立った。先代の主はこの腕と、茫洋として影の薄い龍之介の人柄を気に入り、名乗りの名字もそのままに娘と道場を託して円満のうちに世を去った(当然ながら剣術家としての阿澄家(あずみけ)は途絶えたことになるが、だからこそ当時の倫理観からすればこれは破格のとこと言えよう)。
 本人の弁によれば、正木家というのは『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも登場する北九州の源氏血統で、元亀天正の頃には九州北部の大大名であった大友家で加判衆として重用された臼杵鑑続(うすきあきつぐ)の……傍流も傍流、血縁とも言い切れないような末裔なのだという。が、特に家系図のようなものも用意されてはいない。本人にその話を吹き込んだ正木家の父も、祖父も、ともに話半分といったところだろう。龍之介自身が、その出自に大してロマンを感じているという風でもないのだ。
「ずいぶん大きく出やがったもんだよ」
 おそらくは、幕末の混乱期で草莽(そうもう)の中から群がり出た町人上がりのにわか武士と思われる。
 この、己の血筋をどうとも思っていない軽やかな性格のために、なんとか代々木の町で受け入れられた。
 ただし、やはり不審な点も残っていないでもない。
 右に書いたように、龍之介と妻の《りよ》はあくまで内縁である。特に祝言らしい祝言もあげていないし、町の顔役たちにもそういった相談はされていない。そのことをりよが気に病む様子もなく、毎日かいがいしく龍之介の面倒を見ているのだ。
 そしてコーヒーである。
 少なくとも、分限の少ない下士の子弟や町人たちを集めて棒切れを振り回させているだけの小さな剣術道場に、長屋をまるごとひと月借りられるような額の薬をたまにでも嗜めるような収入があるとは考えにくい。あるいは前述の正木家の伝説が本当で、安土桃山や江戸期を潜り抜けた隠し財産でもあるのだろうか、それなら江戸から外れたこんな宿場で地味に暮らしていられるものとも思えない。

   2
「おい」
 と、数日に一度、そうやってりよを呼ぶ。こう呼ばれたりよは顔を紅潮させて、他の何物をも捨て置いて急くように龍之介の膝元に寄り添う。男は、寄り添ってきた女を左腕で抱き寄せ、ぐいっと胡坐をかいた己が(あし)のうえに寄り倒して着物の裾を割る。
 たいていは宵の口前、風呂に出かけるより前だが、激しく雨の降る日などは朝からでもりよを呼ぶ。
―――たまんねぇ体をしていやがる
意外にも穏やかにむつみあう相貌の裏で、龍之介は彼女とのことに溺れていた。ともに暮らしてそこそこの年月も経ち、幾度となく肌を重ねてきたが、重ねるたびに肌が馴染んでいくように感じるのだ。
 その日も朝から静かな雨が降り注いでいた。
 町人が手すさびに道場へ通ってくるのは、それぞれの営みを終まって小半時もしてからである。多門院から暮れ六つ最初の鐘(現代の夕方五時頃)が聴こえる。町人がわずかばかりの銭を納めて棒の振り方を教わるのは、これから暮れる六つ過ぎまで。興がのれば五つ最初の鐘(七時)が鳴るまで振るっているが、それは大人ばかりで小僧どもは帰宅してそのまま寝る時間である。
 ちなみに、城に勤める下士の子弟はもっと明るいうちにやってきて、龍之介からもう少し本格的な指導を受けている。使う道具こそ木刀より竹刀が主になるが、時に致命傷を負いかねない本気の組打ちすらやらせる。この士分の者たちは、龍之介の下で一年半の素振りを終えると小野派一刀流(おのはいっとうりゅう)の初段という小目録を得て、それを箔として江戸の桃井(もものい)道場(士学館・鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう))に移籍し、修行を続ける。
 なお、小野派一刀流といえば徳川秀忠付として柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)と並ぶ徳川将軍家剣術指南役になった小野忠明(おのただあき)から伝わる歴とした正統派の剣であるが、昨今の風潮で新陰流ともども新興の流派に押されてしまっている。まさに初段だけ得て箔にされるくらいが関の山といったところだ。
 今夜は、六つ終わりの鐘(夜七時)で終まいにした。
 町人どもが汗を拭きながらざわざわと去ったあと、龍之介は
「おい」とりよを呼んだ。
 町人たちの汗のにおいの残る道場で、ひとしきり彼女を(さいな)んで昂った熱を冷ましてから、母屋の濡れ縁に座り込んだ。通いの下女が温めなおした膳を運んできて龍之介の横に置いて去る。五十がらみの下女はこれを一日の終わりの仕事と心得ていて、このあと夜道を拾って帰宅するのだ。
 暗闇の中で、朝からの雨は庭の葉を揺らして微かな音をたてているが、その定音(じょうおん)の中にふつふつと小さな雨粒が布にあたる異音が混じった。
安房守様(あわのかみさま)
低く静かな声が、微かに葉の間から漏れ出た。この異様な気配に、庭木に雨を避けていた雲雀がひと声鳴いて飛び立っていった。龍之介は声を聞いたが横を向いたまま黙って下女が置いていった膳の粟飯を口に運んでいる。ついでながら、膳の上は粟のほか素の味噌汁と沢庵漬け数切れにおかしな臭いのする小さな目刺し一尾のみ。夜明けにコーヒーを嗜む典雅な分限の者が食する膳とも思われぬ。声は何度か呼びかけていたが、龍之介の食事は止まらない。
「あまり意地悪をなされますな、正木様」
 もう一度、同じ声が転がり出た。
 仕方なしに、龍之介が口に放り込んだ沢庵をボリボリと音立てて咀嚼しながら庭の方に向き直ると、二畳ほどもない庭の、築地に埋めてある岩がすっくと立ちあがった。
「疲れておるのだ」
龍之介が不貞腐れたように言い放つ。口の端から、器用に沢庵のしっぽの部分だけを、立ち上がった岩の足元に吐き出した。
「仕事でござりますゆえ」
しなびた食べかすを吐き出かけられた男は、濃紺の(かすり)を着て黒袴(はかま)脚絆(きゃはん)で絞り、顔を濃紺の布で覆っていた。同じく濃紺の羽織は、裏地が薄い橙色になっているのがチラリと見える。背が高い。
 非常に蛇足ながら説明すると、世にいう忍者装束というのは純粋な黒色を好まないのだという。実戦的な経験から、夜陰に紛れるためには紺色や、いっそ濃いめの青色が有効とされる。時代劇などの映像作品に登場する忍者たちが日中の活動において黄土色や橙色の装束に身を包んでいるのも、同様の理由による。この色彩技術は現代の軍事においても迷彩という形で息づいている。
 先刻、この忍者めいた男が龍之介に呼びかけた「安房守」というのは、前述の臼杵鑑続が拝領していたとされる官位である。ちょっとした諧謔(じょうだん)のつもりであろうが、龍之介は嫌がっている。
「今度ぁ何だ」
「それがその桜田御門で」
 現在、東京地方検察庁が見下ろす日比谷公園の一角に、長州藩の上屋敷があった。江戸期、その周囲には有名な大岡越前守(おおおかえちぜん)や米沢藩上杉家などの屋敷があるが、ほとんどは松平何某(なにがし)といった徳川家血縁の一門か、大久保誰某(だれそれ)、水野某という風に徳川政権最初期を支えた譜代の立役者たちの屋敷がひしめいている。既に長州藩などは回天の意思を隠そうとしていない時期だけに、この配置からは三百年前の始祖権現家康公の圧倒的な深謀が伺える。
「あんな所を、この俺が歩くのか」
 要するに大名屋敷のエリアなのである。壮大な江戸城の、詰めの詰めといった風の「曲輪(くるわ)」内である。武士を名乗っていても、龍之介は所詮町居の浪人。御公儀からすれば町人も同然、本来ならすぐにでも取り締まられる対象なのだ。そんな男が
駕籠(のりもの)無しで歩いてちゃあすぐに御用だろ」
せいぜい使い番が騎乗で通り過ぎるくらいで、参勤交代や上番の行列以外では徒歩(かち)で移動していい場所ではないのだ。そもそも曲輪に入るための四ツ谷御門とて通してはくれまい。
「さあ、そこは我々が」
 岩が曖昧に返す。
「なんだい、俺に忍者でもしろと」
先刻、男の声に驚いて飛び立った雲雀が、やはり雨が堪えるらしく庭木に戻ってきて、か細くピィーと鳴いた。
「いえ、駕籠を用意いたしまする」

   3
 文久三年(一八六三)晩春。
 その日、正木龍之介は先代阿澄杖蛙(あずみじょうあん)が遺した藍色の半裃(かみしも)を身に着けた。徳川幕府開闢(かいびゃく)より以前から、富豪の町人でも礼服として裃を着ることはあったのだが、やはりこういうものを着ると龍之介のような男でもいくらか(さむらい)らしい気分が高まる。両胸と背、袴の腰に縫われた阿澄家の家紋には墨紙を貼り、上に臼杵氏の家紋(杏葉紋の変形)のようなものを描いておいた。長州藩の関係者に、今は影形もない九州士族の出身者が紛れ込んでいても、細かく名簿(みょうぶ)でも確認されぬ限りは怪しまれないであろう。
 正木夫妻がコーヒーを飲み終わる頃、道場の裏手門にひっそりと駕籠が置かれた。無論、乗物とは呼べない質素ななりであるが、少なくとも四ツ谷より内側を進むのに違和感はあるまい。
「お待たせ致した」
 龍之介の目の前に立った迎えの侍が頭を上げると、にっと笑った。ずいぶんと薄い顔だ。「相変らず、なんとも言えぬ良い香りでございますなあ」とコーヒーの残り香を楽しんでいる。
(岩か……?)
 思えば、いつも仕事を持って来るあの忍者、顔を見たことがないのだ。名前も知らぬ。いつも宵闇の中、庭の築地に岩のふりをしてうずくまり龍之介を待っている。名を訊く用もないので、心の中で岩と呼んでいるのだった。
「顔を見るのは初めてだな?」
「さて、これが本当の顔とも限りませぬよ」
岩が両手で己の顔を覆い、つるんと撫でると、確かに先刻とも違う顔のように見える。目が深くまで落ちくぼみ、鼻が高くなったような……?
「どういう仕組みなんだ、それは?」
「さ、それは。私の商売道具でございますから」
岩はそっと回答を拒否し、三谷次郎流里(みやじろうるり)と名乗り、
「今回限りの仮の名でございますからな」
先に釘をさしてきた。
 実のところ、敵の目から逃れるために一時的に顔を変えてみせる遁法(とんぽう)(逃走技術)には、忍術というほど特別なタネがあるわけではない。方法は流派によって異なるが、骨子はほとんど同じである。
 『万川集海(ばんせんしゅうかい)』に曰く、幼少期より頭蓋骨のうち眼窩周辺や鼻骨そのものを骨折させ続け「折れ癖」をつけておくのだという。必要になればその場で顔面を骨から変形させる。現代を生きる我々にとっては想像の埒外と言っていい。このうえ、例えば相模に巣食っていた有名な風魔という忍者の一族では莨の葉を燻した煙で相対した者の意識を混濁させたり、(実際の効果ではなく迷信深い時代の人間を脅かすための暗示として)密教の真言等を唱えて聴かせることで仕上げとする。
 駕籠に乗り込んだ龍之介と、付き添いで駕籠の横を歩く流里(岩)は、とくに誰何(すいか)されることもなく無事に四ツ谷御門を通過し、八つ(午後三時頃か)までには長州藩上屋敷の裏手に到着した。
 現在、千代田線の霞ヶ関駅となっているあたりである。ここなら、どの藩邸の門とも接していない。目的の人物は、夕刻、まだまだ日のあるうちに長州藩邸の裏手から出てくるのだという。
「なかなかに腕の立つお人で手を焼いてござる」
 嘉永六年(一八五三)の著名なペリー提督による最初の来襲から既に十年、徳川十四代家茂将軍の上京も手伝って、天下の趨勢は(みやこ)にある。嘉永から慶応に至るほんの三〇年足らずの間は、人々を恐れさせた人斬りと呼ばれるテロリストたちが群がり出た時代でもある。この古都には後々四大人斬りとして有名になる河上彦斉(かわかみげんさい)などがいるが、まだこの頃は知られていない。しかし、京に上る将軍の近辺警護のために、浪士組が結成されたところを看ても、既に治安の劣悪さが判る。
 趨勢は京にあるといえど、江戸にはまだ幕閣の歴々が残っており、この大物たちの命を付け狙っているのが、まさに長州藩上屋敷に起居する過激派浪士というわけだ。中でも、水戸を脱藩して天狗党に与し、こと破れてここに匿われている臨風斗(のぞみふうと)という男が手強いらしい。流里の話では、既に手の者数名が返り討ちで死んでいる。
「ここはもう江戸城の中。そんなところに脱藩浪士風情が居座って、こともあろうに幕臣の命を狙ってるとは、おかしな話じゃあねえか」
 龍之介が皮肉を言うと、流里も苦い顔でうなずいた。
「証拠が揃えられないんで」
幕藩体制も既に末期。公然の(はかりごと)に対して強硬な姿勢をとれないもどかしさが、徳川十四代将軍にはある。翌年に、堪忍袋の緒が切れたかのような長州征伐が行われるが、結果は我々の知る通りであり、その見通しがあったればこそ御公儀は藩邸の調査すら強行できないのだ。
 それなら、それこそ流里たちのような異能が忍び込んで証拠をあげればいい。そう言ってみたが、横に佇む忍者は黙って首を横に振るばかりだった。
 公儀の隠密、いわゆる御庭番という形で、忍者という技能集団は生き残ってきた。主に、かつて大和と伊勢の山間部(甲賀郷から伊賀を経由して名張(なばり)郷までといった、絶望的なほど農業に向かない地勢の貧しい地域)に盤踞(ばんきょ)していた一族である。他にも、安土桃山の頃まで関東平野で活躍していた忍者集団などが吉原遊郭の用心棒として残っていたりするが、具体的に城や屋敷に忍び込んで偸盗(ちゅうとう)をこなすような技はほとんど失われたに等しい。かろうじて遁法だけは伝わっている。そこで、流里たちの主な活動は現代の興信所とさほど変わらない。よくて顔を晒しての潜入捜査、あとは敵対人物が闇夜に出歩くのをひたすら待っての闇討ちといった程度である。
 ただ、人斬り経験もあり腕の立つ剣士ともなれば、夜討ちであっても昨今の退化した忍びごとき数名に後れをとらない。それで、正木龍之介の出番となったわけだ。
「俺が負ければどうなる?」
「何も変わりません」
忍者という、ものごとの観測にかけて一流の者が、こともなげに答えた。
「変わらないッてお前……」
「臨は雅楽頭(うたのかみ)様か遠江(とおとうみ)様か、いずれ老中あたりのたれかを手にかけまする」
「おお事じゃあねぇか」
江戸に残っている老中は三人。雅楽頭酒井忠績、遠江守有馬道純、備前守牧野忠恭、いずれも今年老中になったばかりであるが、まさに日本国全体を切り盛りする中枢の三人と言えよう。それを手にかけるという。
 まさか独りで斬りこむわけではあるまい。
 有名な桜田門外の変はちょうど三年前。大老井伊直弼の大名駕籠を襲った人数は十八名である。逆説的な物言いになるが、幕府の重臣といえども江戸城内で襲うならたったそれだけの人数で足りてしまうのである。臨風斗がそれほど腕が立つというのであれば、(後に捕縛されて刑死はまぬかれぬとしても)他に数名の同志がいれば老中を一人(しい)すくらいやってのけるかもしれない。
 それでも――
「何も変わりますまい」
冷徹、と言っていい。そうでなければ務まらぬのが忍者であろう。政権首脳の命を狙うテロリストを返り討ちに暗殺しようがしまいが、いずれ徳川の世は終わる。この男にはそれが読めてしまっている。なのに、その公儀の命を請け負って「仕事」を龍之介のところに運んできた。
 在野とはいえ侍である龍之介にはその機微がいまいち理解できない。
 しかも。本当のところは、龍之介は天下国家の行く末を訊いたわけでもない。自分が負けたあと、残していく《妻》のことが気にかかり、「俺が負ければどう」なるのかふと漏れてしまった質問なのだ。
(岩め、おかしな男だ)
と思ったきり、心を切り替えた。
 人と命の奪い合いをする場面で、己の力の及ばぬ天下国家のことなど足枷にしかならない。龍之介は精神を集中させた。横の流里はそれを邪魔すまいと気配を消したまま周囲を警戒している。駕籠かき人足の二人もやはり流里の手の者なのだろう、静かに佇んで長州藩邸の門内について耳をそばだてている。

   4
 《りよ》は、実のところ龍之介の気持ちを理解していた。
 理解というと語弊があるだろうか?
 それはほとんど、女の勘である。
「いましばらくは、きちんと祝言(しゅうげん)できねえ」
 かつて龍之介は一度だけ、そう語った。「おい」と呼ばれて多少乱暴に抱き寄せられる時も、ひと時の快楽(けらく)だけではなく存在そのものを求められていると確信している。龍之介はいずれ死ぬかもしれない。りよを後家にしないための方便だろうか。気後れしているのは確かであろう。少なくとも代々木の町の者たちは、彼女を正木龍之介の(つま)と看ているのだから無駄な方便ではある。
 この時代の日本では、コーヒーが水腫に効く薬種として扱われていることは既に述べた。コーヒー豆を日本に持ち込んだオランダ人にとっては(いくらかの薬効は認めつつも)既に嗜好品として認識されている。これがシルクロード経由になると、西アジアの辺りでふたたび惚れ薬の側面を持たされるのは大変興味深い。おそらく実に含まれるカフェインによる高揚感から恋の秘薬だと想像を飛躍させたのであろう。
 龍之介が、毎朝この薫り高い飲料を煎じてりよに飲ませるのは、あるいは惚れ薬の面を信じてのことなのだろうか。
 一般に男女間におきる(いさか)いの元は、ほとんどの場合言葉が足りないことにある。曰く「好きとか愛してるなどと言葉にしなくても分かれ」曰く「説明しなくても察してエスコートしてよ」……等々。そして、言葉にしなくても情愛の伝わって満足してしまう女や、説明されずとも察せられる男が、極々稀にだが存在してしまうことが、余計におおくの男女それぞれに希望的観測とロマンを抱かせてしまう。
 龍之介とりよは、多分にその稀な男女である可能性が高い。世間はふたりの間柄を詮索するが、それにどれほどのことがあろう? お互いに相手から離れ難く思えているのならそれで良いのではないか。彼女はそう考えているのだった。彼女の生きた時代を考えれば特異な女ではあるだろう。
 それに、龍之介が毎朝大事そうに粉ひくコーヒー豆の匂いも気に入ってきたところだ。このまま、遠い西の都で擾乱(じょうらん)が起きたとしても、彼とともに黙ったままコーヒーを飲む日々が続けば満足して死ねるではないか。
 今朝も、夫婦は風炉の灰をかき回して湯を沸かした。そこまでがいつもの動作だったが、今日だけは煮汁を濾(ネルドリップ)しているあいだ中、龍之介はりよの裳裾(もすそ)に手を入れてたっぷりと愛撫し続けていた。
「どうして……ッ」
触れるか触れぬかの絶妙な愛撫のもどかしさに耐えつ訊こうとした瞬間、チクリと鋭い痛みが走った。龍之介が彼女のその毛を一本つまんでいた。
「預かる」
ニヤリと破顔した男の顔が、妙に思い出される。
 好いた男は今朝、珍しく半裃などを着けて駕籠に揺られていったのだった。それほど畏まった用事とは何なのだろうか? 変に心身が落ち着かず、今日のりよはずっと邸内を掃除し続けていた。

   5
 その男は、天狗党としていくばくかの死線をくぐり、幾人かの佐幕派を手にかけてきた人斬りとは思えぬほどに、柔和な印象を与えた。日焼けした額こそ剽悍(ひょうかん)だが、八の字に垂れ下がった両眉が哀れなほど滑稽に映る。
 元の水戸藩士、臨風斗、本名本多佐内(ほんださない)。名前の示す通り、血脈をたどればおそらく徳川家康が松平と公称していた頃からの大譜代(本多家)に連なるであろう。家は水戸家中でもそこそこの大家だった。数年前から過激な思想が水戸藩を冒し、この男も感染した。藩主の参勤交代に伴い江戸に上ってのち北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を修め、仲間と酒が入るたびに、海の向こうから来たほんの数百人の外夷(がいい)に弱腰な態度を続ける幕閣は明日を生きることすら(まか)りならんと気炎を上げたという。
 歴史的な回天の役者としては小物……といってしまっては可哀相だろうか?
 我が国では、戦場ならともかく、日常に潜む人斬りが歴史を動かすことはこんにちまでついぞなかった。歴史に名を遺した人斬りたちにしても、それは使役していた飼い主か、あるいは仕留めたターゲットが有名だったからにすぎない。臨風斗の場合、たれに雇われてもいないし、思想的な師がいるわけでもない。仲間から吹き込まれる「どこそこのたれそれが悪い奴だ」程度の情報でふらりと斬りに行く。
 こう書いては失礼かもしれないが、腕っぷしの強い良家のお坊ちゃんが悪い友達に誘われて革命ごっこをしている……ような風情である。
 だが、ことはそこまで小さい話でもない。
 既に、無名ではあるが幕府を(たす)ける立場の者たちが数名命を落としている。この男が長州藩邸に匿われている証拠については、藩が口を拭えば済んでしまうことなので無理だが、枝葉些末のこととてせめて抹殺せねばならぬ。彼に斬られた佐幕派の多くは町人層だが、幕府の借財を請け負う富豪ばかりである。豪商家の当主が殺されても公債は残り、跡継ぎが後難を恐れて次の借金を出し渋る……。
「本当にあれなのか」
 物陰からその動向を伺う龍之介たちは、少しだけ判断に迷った。まだ日もあるが、長州藩裏門から出てきた男は、すぐに深編笠をかぶり、藩が用意したらしいもっこ駕籠に揺られて出立した。目印たる八の字眉毛はちらと見えたばかりである。
「他に動きはないようです」
門内の音を聴いていた手下の駕籠かきが、声ともつかぬ声で流里に告げた。
「ならば、つけるしかあるまい」
龍之介の決断に、一同も肯いた。
 念のため、流里はこの場に残ることとした。これから龍之介は再び駕籠に揺られて男のあとをつけ、場所を鑑みて斬り捨てる。この際、人違いを気にしなくて良いとは流里が「上から」言外にほのめかされたことである。
「あとの細かい手配はこの者たちが」
流里に促され、駕籠を担ぐふたりの男たちが頭を下げた。
 それからどれくらい揺られていたであろうか。
 新シ橋を渡って東に進み、日本橋の辺りで北に折れる。これは浅草を目指してか、否、それより先の吉原かもしれぬ。密かに追手のある身で遊郭に登楼するほどの小遣いが、今の長州藩から出るだろうか?
「あの男、賊も働いてやがるな」
龍之介の予測に、けっこうな速度で駕籠をかいているふたりのうち前の者が、走りつつも乱れぬ気息のまま応える。
「これまでに殺められたはいずれも蔵持ちたる豪商富豪。あるいは……」
「なんにせよ、吉原ならその手前で追い越してくんねぇ」
 うまくすれば浅草寺を過ぎたすぐの田地で周囲を気にせず立ち合える。寺院と田地、ほかに外様の小名屋敷が遠景に佇むのみの、絶好の場所だろう。それに、田に浮かんだ死体も「吉原絡みで浪人同士が色恋の刃傷沙汰に及んだ結果」程度で詮索も甘くなる。
 目的の男を乗せた駕籠は、既に薄暮夜となる空気の中、曹源寺を折れて立花左近将監屋敷へと向かうあぜ道を走り出した。今の花やしき遊園地のあたりである。この寂しげな道で、龍之介を乗せた忍び駕籠は臨風斗の駕籠を追い越し、数間先で土煙を巻きあげるように反転して止まった。
「何だ」
 臨の駕籠も、不審を感じて止まった。

   6
 晴天……というと違和感があるが、語弊ではない。晴夜という言葉があるが、晴夜ほど澄み渡ってもいない。月は登り始めたところである。
「何だっぺ」
 双方、同時に駕籠から転がり出た。龍之介は直前に渡された頭巾姿。
 臨風斗は編笠の顎紐をゆるゆると解いて、提灯の明かりに己が顔を近づけて見せた。
「俺で間違いないんだべか?」
薄明りの中に、特徴的な八の字眉。あきらかな水戸言葉と相まって表情はひどく柔らかいが、既に左手の親指が腰の鯉口をくつろげるべく曲がっている。
 臨の背後の駕籠かき中間(ちゅうげん)たちが、持っていた棒を正眼(せいがん)に構えた。中間といえどもさすがに藩邸で起き居するだけあって、構え筋は悪くない。が、龍之介のみるところ腰が引けすぎている。一合二合あわせる間に逃げるかもしれない。
「……」
 龍之介は無言で抜いた。
「あ、そう」
この滑稽な困り顔の持ち主の、どこからこれほどの圧力が出ているのだろうか? 脇に構えた龍之介の前で、臨は片手で抜き、片手のまま正眼にした。左手には脱いだ編笠を持ったままである。
 いずれも剣の上級者にしか感じ取れ得ぬ圧力である。腕が立つゆえに、相手の先手に敏感ならざるをえない。既にふたりとも、意識の中では数合の斬撃を送りあっている。この、お互いに想像している相手の動きを、出し抜いた者が勝つ。
 ……
 双方、いや、泰然と構える臨に対して龍之介だけがにじるように進む。対峙した剣客同士では格下のほうが動くというが、この場合は仕方がない。龍之介が襲う側なのだ。間合いまでまだ一間半(三メートル弱)。両者の間に、空気の潮が迫る如く満ちていく。この潮が満ち切った頂点の瞬間、同時に仕掛けるだろう。
 まだ充分に余裕のある距離で、臨が片手のまま振り上げ、地刷りするほどの勢いで斬り下げてきた。切っ先は速いがまだ本気ではあるまい。簡単な誘いには乗らないつもりの龍之介だったが、無造作に用意された隙に思わず一歩進んでしまった。
(たしか北辰一刀流……)
 眼前のとぼけた男の剣気を己が切っ先で流しつつ、かつて日本橋で見かけた千葉道場の練習風景を思い描く。龍之介と同じ小野派一刀流を修めた千葉周作が、千葉家に代々伝の北辰夢想流(ほくしんむそうりゅう)と統合して開眼したもので、美意識よりも斬り合いで勝つことを狙い、時流に合わせて合理的、実戦的な剣といえる。門下の練習生たちの振り下ろす竹刀が全て地を突いていた。面を打つのではなく、敵の前面を斬り割る動きだ。あれは馬鹿正直に受けるより流さねばならぬ。
 両者のあいだは三尺(一メートル弱)。既に間合いである。
 龍之介はたまらず、脇構えから正眼に切り替えた。自分の中の怯懦に、まだ気づいていない。
 剣先同士がすれ違う瞬間、臨は左に持っていた編笠を龍之介の顔にめがけてふわりと投げかけたがこれも読んでいた。右脇下から笠を斬り上げる。飛び散る藁に視界を乱されつつ、返す刀は牽制として闇雲に振り下ろすしかない。
 振り下ろした瞬間。
 寸前まで強烈な向かい風のようにあたっていた剣圧が、次の刹那には背後から襲いかかり、龍之介は寸で前のめりに転がった。その瞬間まで龍之介の背中があった空間を、きらりと横なぎの一閃が走る。
(速い!)
 あの寸毫の時に、この八の字眉の男は龍之介の背中をとった。凄まじい技前といえる。転がり、間合いを再びあけて龍之介が横に振りながら立ち上がる。背中に強烈な熱を感じる。どうやら完全には避けきれなかったらしい。剣戟の高揚感で、龍之介の痛覚はいくらか麻痺した。
(だがこのくらいなら)
 何とか敵の剣先に追いついて弾くくらいはできそうだ。しかし――
「なかなかやるっぺよ」
臨が余裕の笑顔を見せつけてきたと同時に、龍之介は己が目を疑った。
「……ッ!」
 今度は両手でしっかりと握りこんで大きく上段に構えた臨風斗の、そのもっと奥に、龍之介をここまで運んできた忍びふたりが倒れていた。見る限り既にこと切れている。
 仮にも暗殺めいた生業を営んできた者たちをふたり仕留めながら、そのうえで龍之介の背に斬りつけたというのか。
(これは負ける)
背後には、たった二合ながらどうやら優勢とみて自信をつけた中間ふたりが、しっかりと棒を構えなおしている。
(俺にはできないか)
臨にひと太刀入れつつ、後ろの小物たちを同時に仕留めるなどという芸当が、である。龍之介は無理に奮い立って蜻蛉(とんぼ)に構えてみたが、ほんの一寸、腰が引けているのは筒抜けだろう。
「はははぁ、おめさん、薩摩のもんだが?」
現に、龍之介が精いっぱいにかましたはったりの構えを笑う様子さえ見せているではないか。(蜻蛉は鹿児島伝統の強流派示現流(じげんりゅう)の代表的な構えなのである)
「格が違う……」
「おほ、照れるがな。諦めるっぺが? 追わんが」
 自然に出た己の言葉に、龍之介は頭巾の下で赤面した。
―――これは死ぬ
口を覆う墨布が湿ってきている。動悸が速く苦しい。斬られた背中が痛み出した。先ほどまで耐えていた臨の圧力が、もはや物理的な実感を伴い我が身を押しつぶすような錯覚となって龍之介を完全に包みこんでしまった。
 龍之介自身も腕のある剣客だけに、どう動いた先にも臨の剣が待ちかまえて振り下ろされる予測が見えてしまっている。それを受けることはできるだろう。が、おそらく受けた剣ごと斬られる。唐竹のように割られる。
(りよ……!)
 頭蓋から陰部までを正確に二分割される、逃れ得ぬ消滅の時、我が女の行く先だけが気にかかる。
 ―――と、
「おい」
 臨が中間たちにむかって顎を振ると、これは感覚的なものだが、龍之介の右背後(吉原へ向かう道)に殺気の死角がうがたれた。
 赤面の龍之介はもう血管もはち切れるような思いである。「見逃してやるからそこから逃げろ」ということらしい。
(糞!)なんという屈辱であろうか。しかし逃げるしかないのだ。
 龍之介は、己の差料をぎこちなく収めて、猟師に弄ばれる小鹿の如く逃げた。
 恐ろしくて、背後の気配すら確かめられなかった。
「なんだっぺ、この匂いは?」
 龍之介が走り去るのをゆっくりと眺めて、先刻真っ二つに割られた編笠の半分を拾い上げたとき、臨風斗の鼻先にふわりと、嗅いだことのない、例えようのない香気が漂った。

 夜遅くに帰ってきた内縁の夫はたっぷりと汗をかいていた。
「りよッ!」
言うなり玄関先まで出てきたりよを抱き寄せる龍之介の体は、わざとらしいほど震えているのだ。そして、そのまま押し倒された。いつになく強い抱擁が、子犬が母犬を求めるかのようで、いやに愛くるしい。
 胸に縋りつく龍之介の頭をそっと抱き返しつつ、りよはされるがままにしていた。
 門は閉まっているが、玄関の板敷の上である。いつたれが訪ねてくるかしれぬ場所でのことに得体のしれない背徳感がないでもないが、それより、龍之介の上気した息遣いがいつもと全く違っていることが、りよを昂らせた。とにかく彼の息は切迫しているのだ。帯を解く手ももどかしく、龍之介はまるで急ぎに走って脚を絡ませ転げるかのような塩梅で、とても見ていられない。
 りよはふと初めて(としした)を相手にしているような慈しんだ気分になり、下帯ごと体を開いて長年馴染んだはずの男を導いてやった。
 導かれた男は、これがあの龍之介かと思うほどに迸っていた。ひと時ふた時では済むまいと覚悟を決め、己が(かいな)を男の背中に回したとき、半裃の背が裂かれているらしい手触りに気づいた。同時に、汗だけとは限らぬぬめりが両手を湿している。そこで初めて、鉄の匂いに気づいたのだった。
 深手ではなさそうだが、その晩の龍之介は広く裂かれた背中の痛みに気づかぬ如く振舞っていた。振舞うという陽気な心情ではないだろう。りよは武家に生まれて挙措も行き届いていながらも心映えは町娘のそれとほとんど変わらない。そのりよが気付くほど、龍之介の狼狽と血の匂いは濃かった。
(この人は負けなさった)
 薄っすらそう思った。腰に二本差した侍、それも剣術道場を持つ身の男が逃げ傷を背負っているという事実。しかし、そこにいささかの侮蔑もない。侍の子女というよりも町娘らしい感情の回路で、今この瞬間に自分の体に縋っているこの男が、死線のなかにあって武士道などというつまらぬものに殉じるよりも、自分と生きることを選んでくれたという仄かな喜びを感じる。そう考えると、いっそみすぼらしく見えるほど怯えた龍之介の表情が、たまらなく愛おしかった。
(明日の朝、この人が疲れて眠り込んでしまったら、改めて背中の手当てをしましょう。それからお湯を沸かしてコーヒー。今は―――)
 それだけ考えて、あとはりよの思考も乱れていった。おそらく朝のコーヒーはいつにも増して酸いだろう。

   7
 慶応四年(一八六八)初春。
 もう春になろうというのに、朝の江戸はまだまだ身を切るように寒い。先年の暮れに王政復古という一大事が起きたが、ここは江戸のままだ。いずれ行われる廃藩置県は五年後からである。
 新政府軍に追われた幕府の残党たちは、北海道で籠城を始めようとしている。つい先日、海軍副総裁の榎本武揚が罷免された幕臣たちを連れて、新政府に引き渡されるはずだった軍艦五隻に乗り込んで逃げ去ったところだという。
 討幕派の悲願、回天は成ってしまった。このような世が来ることを、一部の志士たち以外のたれが想像しえただろうか。
 ただの一貴族となり下がった徳川慶喜は、駿河遠江に七十万石の封建領主となった。八万騎とも言われた旗本幕臣たちは路頭に迷うこととなり、多くは北海道の開拓に人生を賭けようと、先に述べた榎本艦隊に合流していったのだった。
「岩はどうしたんだろうなあ?」
「え?」
 龍之介は変わらず早朝にコーヒーを飲んでいた。何となしに呟いた言葉にりよが首をかしげたが、それには応えなかった。
 あの夜以来、岩は忍んでこなくなった。臨風斗との顛末で見限られたか、あるいは長州藩を探る仕事で命を落としたか。ついぞ、その本名も素顔も知ることなく、関係は途切れてしまった。そのことに一抹の寂しさくらいは感じないでもない。忍びの世界に生きる者たちとは、友情という感情も成立しないのかもしれない。
(そも、仕事の話しかしてないからな)
岩について、りよに説明してもうまく伝わるまい。武家の娘としてひと通りの心構えができている女ではあるが、忍者のことや暗殺のような血なまぐさい話は似つかわしくない。
 たおやかな女なのだ。
 世が変わり、コーヒー豆の入手は、ややおぼつかない。
 そのうちアメリカやフランスから舶来の品物として一般に流通もするコーヒー豆もあろうが、少なくとも今の混乱期では薬種問屋も貿易商人も満足に機能はしていないのだ。当分は、オランダ渡りの豆(エチオピア原産・こんにちでいうならキリマンジャロとでもいうだろうか)の蓄えを費えていくしかあるまい。
 岩といえば、臨もどうしているだろうか。
 所詮人斬り稼業ではあるが、あの男の場合は官軍なのだ。何かしらの官職にありついて、今ごろ、浪人臭い粗末な着物を洋服に着替えて、人を殺したこともないというような顔で暮らしているのに違いない。
 悔しいという思いはいつか消えていた。いや、そもそも悔しいと思えぬほど隔絶した技の差だったのだ。龍之介には恐怖心だけが残り、たまにだがあの逃げ道の夢を見る。背中の傷は癒えこそしたが、無残な跡をのこしたままになっている。あの男の一閃は鋭く冴えていたはずだが、龍之介の避ける動作が傷口を複雑なものにしてしまったらしい。
(剣術道場の主が背中に斬り傷を背負っているなどと人には言えんわな)
 逃げようとして負った傷ではないが、結果的に勝負からは逃げたのだから、知られたら逃げ傷と呼ばれよう。風呂に通うのが暗くなってから、という元々の習慣が妙なところで役に立った。やくざ者のように墨絵を背負ってるという噂も、今まで通り放っておけば都合が良い。
 歴史に大きく関与したわけでもない飛沫の志士、名を遺せるでもない元武士から、刺客として格下の小物ゆえに見逃された。背中には屈辱ともいえる逃げ傷。それを悔しく思わない、そんな自分に源氏の血が流れているとは、やはり思い難い。
 廃刀令は未だ発布されないが、武士という階級の価値は薄れていく過渡期である。剣術を志す者も減って暮らし向きは下降していくだろうが、りよとふたり、分限を超えた出費でコーヒーを贖ってなんとか暮らすのが自分には合っているのではないかと思うのだ。
 例えばあの晩、臨風斗と対峙したのが自分ではなく岩(流里)だったらどうなっていただろう?
 岩の剣の腕前は確実に龍之介より劣る。一合するより前に、岩なら彼我の戦力分析を済ませて「自分は負けて死ぬ」と測定するだろう。そして、死ぬという結果に向かって、上からの命だからと言って進む。あくまで主の道具としての人生を生きていた。忍びというものはそうなのだろう。
 だが龍之介は違う。忍びほど達観もできないし、他の侍たちのように屈辱を受けたことに怒り、彼我の戦闘力を超越してやはり格上の剣客に立ち向かうという態度もとれなかった。
 敵から情けを受けて己が命を拾い、あのときの恐怖を夢にみながら、こうしてコーヒーを飲む。
「りよや、こんど道場が休みの日に、浅草でも行こうか」
そうだ。生きていればこそ、好いた女と一緒に物見遊山だってできるではないか。今の自分なら、この女とちゃんと祝言をあげられるのだ。
「まあ、嬉しい。おこしはコーヒーに合いますかしらね?」
いち早く武家言葉を捨て、娘のようにはしゃぐ彼女を見て、龍之介はようやく心の平静に戻っていくのを感じるのだった。

 浅草は寺社仏閣が林立している。こんにち、街のあり様を知る我々からは想像もつくまいが、数多の寺社仏閣と神域が筑地(ついじ)一枚へだてつ隣り合って建立されていたのだ。それが三町も四町も先まで続いている。
 参道にはそれら寺社仏閣への参拝客を当て込んだ屋台の如き簡素な小売り商いがひしめいている。物が集まることで余計に人が集まり、更に店が集まるというスパイラルで、浅草はこの当時から賑わっていた。
 そんな浅草の参道を、正式に正木家として所帯を立ち上げた夫婦が店々をひやかして歩いていく。
 あちらこちらで珍しい文物が並び、りよの思考は次々に目移りしているようで、放っておくとどんどん先に行ってしまう。龍之介は、彼女のそんな瑞々しい態度を眩しい気持ちで眺めながら、はぐれまいと歩いていた。
―――と、
 急に人々のざわめきに変化が生じた。
 前方で、酔漢同士が睨んだ睨まぬで言い合いを始めたらしい。陽気に浮かれて酒を過ごした酩酊と日頃の疲れからか黒塗りの短刀を抜き身にして、双方ともかなり険悪な空気だ。周囲から野次がとぶことで余計に気勢が盛り上がってもいるようだった。それはいい。問題は、りよが喧嘩中の酔漢たちから手を振れば当たりそうな距離で人波に揉まれているのが、ちらと人々の隙間から見えたことだ。
(まずい)
 龍之介は瞬時に体を緊張させて、目の前の見物客をかき分けた。酔っ払い同士の荒い喧嘩で、近くにいれば危ないであろうし、なにより気の弱い彼女があの怒鳴りあう声に耐えきれまい。とにかく急がねばならぬ。
「すまん、先を急ぐ、すまん」
言いながら数人を押しのけて進むが、もがくほど進んでいる気がしない。龍之介は焦った。焦れば焦るほど彼女が遠くに行ってしまうような……
―――ピィーーーーーーーッ!
 強烈に鋭い音が、辺り一面に響き渡った。
 耳慣れぬ音に、多くの民衆が目を引き絞り、中には体を丸めようとしている者もいる。
「こら! やめえ! こらあ!」
黒い筒袖(つつそで)の洋式軍服を着た新政府軍の藩兵らしき男が、片手で腰のサーベルをおさえ、もう片方の手に持った鈍色に光る細笛を口元に置きながら叫んでいた。
 近代的な警察の前身となる邏卒(らそつ)という組織が東京府に設置されるのは明治四年(一八七一)である。まだこの頃の治安は諸藩の兵によってかろうじて維持されていた。割合としては薩摩藩の者が多かったという。
 筒袖の男もいずれかの藩が駐屯させている小隊の兵であろう。泥酔し、互いに掴み合うヤクザ者の間に割って入り、警笛の強烈な高音とサーベルで両者を威嚇している。それを横目に見ながら、体をこわ張らせている民衆をかき分けて、龍之介は無事にりよの手をとった。
「こんでれすげ! お前ぇらせっがぐの縁日に喧嘩さやっかいかけってバチ当たっぞ」
 藩兵の怒鳴り声に、龍之介はハッとした。
 改めて振り返るべきか。龍之介には、胃の腑からあの忘れえぬ晩の恐怖心が戻ってくるような感覚がある。恐ろしくて振り返ることができなかった。できない自分を叱咤した。明らかな水戸言葉が意味は解らぬままとかく叱っていることだけは伝わる。背中の逃げ傷が、痛む。途端に、向こうも、龍之介が己の小心に対抗すべく微かに発した殺気に気付いたのか、酔漢たちを怒鳴りつけながらも正木夫妻の方にちらと一瞥を寄越した。
 やはり振り返るまでもない。八の字眉のはずだ。
 人斬りが今や治安維持と称して町奉行同心の真似事をしているのだが、その滑稽を感じる余裕は、龍之介にない。
「龍さん、行きましょ」
りよがそっと言い、その場を離れたがっていた。藩兵の、臨風斗の大音声(だいおんじょう)は周囲を圧するばかりである。その中で、龍之介だけに判るように、明らかに戯れの、しかし抗しがたい強さで剣圧が送られてきた。
「ああ!」
危うく腰が抜けそうになりながらも、龍之介はやっとの思いで脚を動かし、りよの手を引くが、群衆の流れも相まって思うように進まない。
 臨の現在の立場からすれば、今さら佐幕派の無名な武士崩れを捕りたてたところで何ら得るところはない(しかも、臨は知らぬことながら、正木龍之介は幕臣ではなく仕事で何度か臨時に雇われた野良の剣客にすぎないのだ)。これから目の前の酔漢どもを番所に連れ帰り説諭する仕事もある。ただ、文久から慶応の世にかけてかなりの人数を殺めた手前、恨みを含んだ遺族を警戒してもいる程度だ。
 しかし、この男には人に言えぬ愉悦を知ってしまっている。
 人斬り時代に敢えて生かして逃した元佐幕派を、今のこの世で探し出し、治安を預かる官軍の一員として堂々と斬り捨てることである。
 今より二年前。慶応二年(一八六六)の晩夏に惨めな終結をみた第二次長州征伐の結果を知って、臨風斗は世の移り変わることを確信したのだった。そのとき彼の心に去来した寂しさを、余人のたれが説明しえるだろう。戦も斬り合いもない泰平が再び到来する。平穏な生活を送るには、この困り顔の男は人を斬りすぎていたのだ。
 あの夜、龍之介は覆面をしていた。当然、その顔を臨が知る由もない。由もないが、一瞬だけか細い殺気を発した男とその妻らしき女から、ふと懐かしいような匂いがした。
「おほ、こりゃコーヒーだったぺが」
あの当時は知らなかったが今なら判る。
 鳥羽伏見のあと、奥羽を転戦する官軍の部隊にはイギリスから派遣された軍人たちが随行していた。彼らが、ティーと称する茶の一種とは別に飲んでいたもの。それがコーヒーという強い芳香を漂わせる品物だと聞かされたとき、臨風斗は得心し、妙にノスタルジックな気持ちになったのだった。
 全てが臨のなかで繋がった。
 たった今、喧嘩騒動から逃れるように立ち去った夫婦連れの男は、あの晩自分を襲撃して、自分の気まぐれな情けで逃げていった男だ。特にどういう気分でもない。ただ、話がしてみたいと思った。その後に己の楽しみのために斬り殺す予定が控えているにしても。そこに、わずかながら勝者の驕りが無かったかといえば嘘になる。
 龍之介にしてはたまったものではないだろう。臨がどういう気持ちでいるのか推し量りようもない。逮捕した酔っ払いふたりを駆け付けた同僚に引き渡して、ふらりと酒屋にでも寄るような足取りで、筒袖のあの男があとを追ってくるのだ。世界も変わったというのに、気が変わって今さら己を殺しに来たのか、その場合りよはどうなるというのか。せめて彼女だけでも逃がせないか……。
(どうしたらいい?)
 今はまだ人混みがふたりと臨のあいだを隔ててくれている。あの人斬りは、周囲の人気が少なくなってから話しかけてくるだろう。夢にまで見るあの晩の恐怖が、重苦しく龍之介の腹の内で転げている。
 こんなことなら、りよと祝言をあげるべきではなかった。やはり自分は妻を遺して死ぬのか。
「安房守様、お足元が危のうござります」
 急な声がしたと思った時には、りよとふたり、人波に押されるようにして転んでいた。剣術家として基本を心得ている(やわら)の気息で、隣のりよに怪我をさせないよう敢えて丸く転がった。
「なんだい危なっかしいな、気をつけて歩きなさいよ、お侍さんがさあ!」
人混みの中の見知らぬ男が啖呵切って通り過ぎた。声に明らかな侮蔑と嘲笑が混じっていた。
 臨から見れば、正木夫妻の頭が波に飲まれて一瞬だけ消えたようなものだった。いや、その後すぐに、自分の追っている頭が浮き上がってきた。
「安房守様、そのままお腰を低く、次の角で左にどうぞ」
地に座り込んだ夫婦のすぐ横に、龍之介そっくりの顔をした男と、りよによく似た女が、それぞれ似たような色の着物を着て立ってこちらを見ていた。
「どういう仕組みなんだ、それは?」
 逆光に目を細めながら龍之介は問う。
「さ、それは。私の商売道具でございますから」
男はそっと回答を拒否し、隣の女と肩寄せ合って人の流れに乗っていってしまった。
「今回限りの仮の顔でございますからな」
聞き覚えのある声が、人垣の向こうから聞こえてきた。

 龍之介はりよの肩を抱き寄せた。
「おい」
とは言わない。
 りよ、とその名を呼び、己の生を確かめるが如き力でその肩を抱いた。
 道の片隅で座り込んだままりよを抱きかかえた龍之介に気づくことなく、臨風斗が、群衆の流れに沿って先ほどの正木夫妻にそっくりな男女を追っていくのが見えた。
「りよや、近いうち俺にとって懐かしい来客があるかもしれぬ。いや、しかと会うのはおそらく初めてだろうが、その時は秘蔵のコーヒーでも馳走してやることにしよう。あいつも良い香りなどと申しておった」
 雲雀が、可愛らしい声で鳴きながら龍之介たちの頭上をかすめていった。

   結

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