夜明けの戦線

くろねこ主任



 1 -戦闘-


 昼は40度、夜は氷点下を下る事も多い、砂漠。
 まだ夜明けの見えないこの砂漠にて、木炭の煙を靡かせた鋼鉄の巨体がいくつも転がっていた。

 鋼鉄の巨体、それは無数の無限軌道に乗せられた要塞。
 大小様々な砲塔で装備を固めたその正体は、大艦巨砲主義が跋扈するこの世界において陸上の主戦力を担う、陸上戦艦であった。

 彼女達の中に一際大きい艦がある。
 46センチ3連装砲3基と15.5センチ砲4基積んでいる彼女は大和。
 だがこの艦の艦長を務めるのは、大きい艦と比べて幼い体躯である金髪の少女アルガ。

 艦長アルガは夏にも関わらず防寒着を着込み、航海艦橋から外に飛び出て紺碧の空を見上げていた。
 空には今沈もうとしている大きな満月。アルガはその月に見入っているようだ。

「こんなにも月がキレイなのだから、今日はきっと良い事があるわ」

 10歳にも満たないような小柄で幼く見えるアルガ。
 アルガは幼年士官学校を首席で卒業したエリート士官である。故に彼女は弱冠12歳でありながら艦隊旗艦を任せられているのだ。
 もっともアルガは初の戦場である為、経験豊富な副官が彼女に付いているのだが。

「こんな時間まで起きているとは、艦長は悪い子でありますな」

 そんな彼女の許に一人の男性が近寄る。
 中肉中背、黒髪の男はこの艦の副長にしてアルガの副官であるノムラだ。

 ノムラの両手には二つのマグカップ。
 ノムラは冷たい夜風に当たる艦長の為にあたたかい飲み物を用意してきたようであった。

「ちゃんと私は寝ましたよ、副長。起きるのが早かっただけです」
「ははぁ、そうでしたか。それは失礼しました」

 ノムラは苦笑しながらマグカップをアルガに渡す。
 マグカップから湯気が立っている。白い湯気でわかりづらいが、マグカップに注がれているのはコーヒー。それもブラックであった。

「あの時の教訓を生かして豆を変えてみましたが……どうですかね?」
「…………」

 そしてアルガはその注がれたコーヒーを見て沈黙する。
 それはピーマンが嫌いな子供が、自分の嫌いな食べ物が皿に乗っている時に遭遇した場合に似ている。

 アルガはコーヒーが苦手であった。その理由は明快で、ものすごく苦いからだ。

「苦みを抑えた、クリスタルマウンテンを使ってみたんですがね。どうでしょう?」

 そしてノムラはアルガがコーヒーを苦手としている事を知っていた。
 それなのにノムラがコーヒーをアルガに渡すのは嫌がらせやいじめではなく、「大人になりたい」アルガがノムラに飲めるようになりたいと言ったからだ。

「……また今度に……」

 だが、肝心のアルガは目の前のコーヒーから顔を背ける。
 ノムラはそんなアルガを認めず、マグカップをアルガに持たせた。

「ダメです。そんな事を言っていたら次も飲みませんよ」

 アルガは持たされたマグカップ、そして注がれたコーヒーを凝視している。

「ん」

 意を決したのか、アルガはマグカップに口を付け、コーヒーを啜る。
 その量は少ないだろう。しかし、それでも飲まない頃と比べると進歩したと、ノムラは思っていた。

 ノムラはアルガに倣って自身の持つマグカップに注がれたコーヒーを一口飲む。

「ん、少し甘めなのか。これはいいな」

 ノムラは自分の淹れたコーヒーにそう評価した。
 そしてアルガの評価は、

「……にがい」
「…………」

 ノムラは少し肩を落とした。

「苦いですか……次は甘くしてみましょうか」
「……うん」

 普段は子供と思わせない言動で艦隊指揮を行うアルガだが、この時だけは年相応の子供のように頷いていた。
 いや、アルガはノムラの前だからこそ子供のように頷いたのだ。それはアルガにとってノムラは信頼に値する副官だからだ。

『艦長、こちら聴音索敵室! 方位0-7-0に感あり! 音紋から戦艦5ないし6! 巡洋艦7、駆逐艦21からなる敵艦隊と予測!』

「艦長」

 突然伝声管から伝えられる情報に二人は険しい表情をした。
 先程までののんびりしていた空気ではなく、それこそ鉄と硝煙、そして血が薫るような空気。

 副長ノムラに呼ばれた艦長アルガは力強く頷いた後、航海艦橋外にある伝声管で叫ぶ。

「方位0-7-0にて敵艦隊発見! 総員、第一種戦闘配置!」

「戦艦6隻ですか……敵もそれだけ必死という事でしょう」
「はい。ですが私達の大和は不沈艦です。何も恐れることはないですよ」

 ノムラはアルガの言葉に少々違和感を覚えたものの、軍帽を被りなおして戦闘指揮に参加した。






 2 -傍受-


 一週間が経った。
 戦艦6隻との艦隊戦で圧勝して見せたアルガ艦隊は、本来自分たちの目的である作戦の為、敵国の絶対国防圏ギリギリのラインで待機していた。

 あの時と同じまだ夜明けの見えないこの砂漠で、ノムラは航海艦橋から星空を見る。
 片手にはコーヒー。ブラックだ。

「月が綺麗だな……」

 ノムラは沈みかけの月を一瞥しながらコーヒーを一口含む。

 一方でアルガは艦長席で息を立てて寝ていた。
 アルガは軍人ではあるとはいえ、まだ12歳の子供である。成長期でもあり、身体が睡眠を求めているのだ。

 ノムラはデスクにマグカップを置くと艦長席で眠るアルガに近づく。

 航海艦橋にはノムラとアルガしかいない。
 他の人員は仮眠を取っており、そして今の時間帯はちょうどローテーションで人員が変わる頃であった。

「12歳で戦場とは、我が国は、この戦争はどこへ向かっているというのか……」

 アルガの金色の髪を解きながら、ノムラはそう呟く。
 一児の父として痛い話だが、国がそう決めた以上その決まりに従う他はない。

「アルガ艦長……」

 気づけばノムラはアルガの頭を撫でていた。その手は自分の子供を可愛がるような、そして守るような。

「…………」
「……ん」

 アルガは撫でられる感覚に気付いたのか、可愛らしい声を上げて目を開ける。
 その時、自分のしている事の重大さに気付いたノムラは即座に手を引っ込めた。

「申し訳ありません、艦長……」
「……ん、なにが……?」

 眠気眼を擦るアルガ。
 どうやらノムラが頭を撫でていた事に気づいていないようだ。

「……艦長、眠気覚ましにコーヒーを淹れましょうか。もうすぐ人が来ます。シャキッとしておいた方がよろしいでしょう」
「うん」

 まだ頭がハッキリとしていないアルガの為、ノムラはその場を離れてデスクに置いたマグカップと共にコーヒーを淹れに行く。

 そして大体頭がハッキリしてきた頃、アルガは今の頷きが誤ちだと気づく。
 アルガはコーヒーが苦手。ノムラが意図的に寝ぼけているところを狙ってきたのか分からないが、アルガはすぐに注文を訂正する。

「待って副長! 私はホットミルクが良いわ!」

 だが時は既に遅かったようで、ノムラの両手にはコーヒーが淹れられたマグカップが二つ。

「……そうでしたか。コーヒーを淹れてしまいましたが、どうしますか?」
「え、あ、うぅー」

 顔を顰めるアルガ。
 ノムラはそんなアルガを余所にマグカップをアルガの許へと持ってきた。

「前回よりは飲みやすいと思いますよ。今回はシュガーを淹れてみたので甘いと思いますが」

 渋々とマグカップを受け取るアルガ。
 艦内とは言え、砂漠の夜は冷える。受け渡されたマグカップは暖かいが、アルガは冷めていた。

 ノムラは普段通り、ブラックのまま飲む。

「大人への階段と思って、艦長。飲んでみましょう」
「…………」

 じぃーっとコーヒーの表面を凝視するアルガ。
 アルガ自身、そうやっても何も解決しない事は知っているのだが、やはり抵抗はあるようだ。

 そして遂に意を決したアルガはコーヒーを一口だけ口に含む。

「……どうですか?」
「……まだにがい」

 一週間前と比べれば飲みやすくなっているようだが、アルガにとってはまだコーヒーは苦い大人の飲み物らしい。

「そうですか……。わかりました、次はもっと甘くしてみましょう」
「……副長」

 ふとノムラは呼ばれる。
 ノムラはマグカップをデスクに置き、アルガの方へと向き直る。

「私、大人になれないのかな……」

 そう呟くアルガ。
 ノムラは何も言わずにアルガの頭に手を乗せ、そのまま頭を撫でる。

 アルガの頬には一筋の涙が伝っていた。
 目にはたくさんの涙を溜め、今にでも泣き出しそうだ。

「そんな事はないさ」

 それは艦隊指揮官の副官としての言葉としてではなく、父親としての言葉だった。
 ノムラは自分の娘のようにアルガの頭を撫で、アルガを落ち着かせようとしていた。

「でも、私コーヒー飲めないし、みんなより身長低いし……なにより」

 アルガは語っているうちに箍が外れたのか、ぼろぼろと涙を落していき泣き声と共に嗚咽が混じり始める。

「……おとうさんやおかあさんがいないもん」

 それを聞いたノムラは目頭に熱いものを感じ、アルガを抱きしめた。
 ノムラは天を仰ぎ、アルガに自分の心情を悟られないようにゆっくりと言葉を出す。

「そうか……それは辛かったね。大丈夫、大丈夫だよ」

 子供のように泣くアルガ。そして父親のようにやさしく抱きしめるノムラ。

「うぅ……おとうさん……」

 二人の時間がゆっくりと過ぎていく……






 3 -出撃-


「最近調子はどうだ、ノムラ」

 1年前のある夏の日の事。
 ノムラは連合艦隊司令長官のヤマモトに呼ばれ、陸上軍港都市クレの喫茶店へとやって来ていた。

 丸テーブルには2杯のコーヒー。
 ヤマモトはカップを手に取り、一口飲む。

「オマエ、軍人辞めるんだってな」

 カップに淹れられたコーヒーの香りを感じながら、ヤマモトは呟くようにノムラに問いた。

「……何の為に軍人やっているのか分からなくなりました」

 そう答えるノムラ。その目には光が灯っていなかった。

 ノムラは優秀な軍人である。
 幾多として陸上駆逐艦艦長を勤め戦場を駆り、のちに戦艦の艦長を務めた現場叩き上げの士官である。

 ノムラが優秀でいられたのは単純に国をも護る意思が人一倍にあり、そしてそれはノムラに妻子がいたからであった。

 しかし先日、ノムラは妻と子供を交通事故で亡くした。
 これが敵の攻撃であればノムラは復讐心で軍人を続けていたのかもしれない。
 だが、ノムラの妻子を殺したのは身内で、それを知ったノムラは何の為に国民を守ってきたのか分からなくなっていた。

「気持ちは分からないでもないが――」
「今の自分に艦を指揮する資格はありません。今戦場に行ったとしても、無闇に部下を死なせるだけです」

 今が戦時下でそんな状況で軍人を辞めるという意味がどういう事かノムラは分かっていた。

 ノムラの意思を聞いたヤマモトは眉間を中指で掻く。
 そして数秒何か考え事をした後、自身が所持していた鞄から1冊の紐綴じの帳面を取り出した。

「オマエの意思は分かった。だがノムラ、どうせ辞めるのならば引き継ぎも兼ねて最後の一仕事をやって欲しい」

 そしてその帳面をノムラの前に叩きつける。

 帳面は金属縁で黒色。表紙には『回天作戰要領』と書かれていた。

「……これは」
「近日中に実行される敵本土砲撃作戦の作戦書だ」

 ノムラは作戦書を手に取ると、ペラペラとページを捲る。

 最初は斜め読みをしていたノムラだが、途中から前のめりになり再び最初から読み始めた。

「長官は、私に死ねとおっしゃるのですか」
「そうではない。オマエならこの作戦を上手く行うことができ、皆を帰還させる事ができる。そう考えているのだ」

「片道分の木炭と砲弾だけしか積んでいない状態で、どうやって帰還する事ができるのですか! それに、ここに書かれている事が事実だとすれば……」

 ノムラの意見はもっともで、ヤマモトも渋い顔をしながらだが頷いていた。
 そして、これからノムラが言うであろう言葉に覚悟を決める。

「11歳の女子が旗艦艦長とは、どういうことですか!? 我が国は、そこまでに逼迫しているとでも……」
「……先の海戦で空母4隻失った。人員も1艦隊分喪失している。人員を補填する為には幼年士官学校から人を出すしかないのだ」

 一児の子を持っていたノムラとしては胃が痛い話だった。
 国民を守るために戦争をしていたはずなのに、なぜその守るべき国民まで動員して戦争するのか……

「だが、ノムラ。この作戦さえ成功すれば勝機はあるのだ。敵大型拠点の破壊。これが成されれば兵站の正常化にも関わり、敵戦力の大幅な低下も叶うだろう」
「それにしては……」

 納得のできない作戦。さらにノムラには作戦を指揮する士気すらなかった。
 だが、自分の娘と同じ年だった子がこの死にに行くような作戦に参加するとなれば話は違う。

「お話し中、失礼します!」

 ノムラが葛藤しているときである。
 二人の間に白い海軍軍服を身にまとった幼女ともいえる女の子が現れた。

「君は?」
「ああ、アルガ君。待っていたよ。ノムラ、紹介しよう。この子が例の艦隊の旗艦艦長を務めるアルガだ……」

 ヤマモトは外見嬉しそうに紹介しているように見えるが、ノムラが分かるくらいには苦痛を抑えているのがわかる。
 ノムラも辛いが、ヤマモトも胸が辛いのだろう。

「新造艦大和艦長、アルガです。よろしくお願いします」
「……!!」

 この時一瞬だけだが、ノムラにはアルガが自分の娘に見えてしまった。

「ヤマモト長官……先ほどの話ですが、気が変わりました。私でよければ力をお貸しします」
「……そうか、すまないな、ノムラ」

 ノムラは守るべきものを失い、戦う意思を失っていた。
 しかし、目の前の年端もいかない軍人を目にして思ったのだ。

「戦争は、我々大人が始末しなければいけないと思いましたので」
「そうか……それは、俺も常日頃思っている事だよ。……そうだアルガ君」

 ヤマモトに名前を呼ばれたアルガは、それこそ子供特有の元気の良さで返事をする。

「コーヒーを飲まないかい? ここのコーヒーは絶品でね、君にもぜひ飲んでもらいたいよ」
「はい、よろこんで!」

 ……この時、二人は知らなかった。
 アルガが苦いものが苦手で、コーヒーが飲めない事に。
 そしてノムラがアルガをあやすのに小一時間かかる事になると。






 4 -決戦-



 昼は40度、夜は氷点下を下る事も多い、砂漠。
 まだ夜明けの見えないこの砂漠にて、木炭の煙を靡かせた鋼鉄の巨体がいくつも転がっていた。

 鋼鉄の巨体、それは無数の無限軌道に乗せられた要塞。
 大小様々な砲塔で装備を固めたその正体は、大艦巨砲主義が跋扈するこの世界において陸上の主戦力を担う、陸上戦艦であった。

 彼女達の中に一際大きい艦がある。
 46センチ3連装砲3基と15.5センチ砲4基積んでいる彼女は大和。
 だがこの艦の艦長を務めるのは、大きい艦と比べて幼い体躯である金髪の少女アルガ。

 艦長アルガは夏にも関わらず防寒着を着込み、航海艦橋から外に飛び出て紺碧の空を見上げていた。
 空には今沈もうとしている大きな赤い満月。アルガはその赤い月に見入っているようだ。

「こんなにも月がキレイなのだから、今日は……」
 
 10歳にも満たないような小柄で幼く見えるアルガ。
 アルガは幼年士官学校を首席で卒業したエリート士官である。故に彼女は弱冠12歳でありながら艦隊旗艦を任せられているのだ。

 そして赤い月の光に照らされるアルガの隣には、中肉中背の男性が立っていた。
 徴兵されて数十年、現場叩き上げで艦隊指揮の地位まで立ち上がったアルガの補佐、艦の副長であるノムラだ。

「しかし、赤い月は凶兆の象徴です。それは我々に対するものなのか、それとも敵に対するものなのか」
「私達には不沈艦という名の大和に乗っているのです。悪い事が起きるのは向こうですよ!」

 自信満々に言うアルガ。その手にはホットミルクが注がれていた。
 作戦前夜というわけでアルガは1日中起きていたわけだが、さすがのアルガでも子供ということもあって多少は眠いらしい。
 立派なことを言う割に、アルガの足が若干おぼついていない。

「コーヒーをお持ちしましょうか、艦長」
「え、コーヒーはいいよ。私眠くないし」
「……砲雷長から子供でも飲めるコーヒーの淹れ方というもの習いましてね。まだ時間があるわけなんですから、どうですか、艦長」

 一瞬考えたアルガだが、コーヒー嫌いのアルガにとってこの答えはもはや一つであった。
 むしろこんな事で艦隊指揮が乱されたのなら、皇国の勝利ははるか遠くに行ってしまうだろう。

「私は飲まない」
「艦長、いつも私がコーヒーを淹れていますが、今回は艦長が淹れてみてはいかがですか? まァ、飲むのはそのあとに決めてもよろしいので」

 だが、今回のノムラはアルガにコーヒーを飲む事をすすめなかった。
 飲む事をすすめなかったが、コーヒーを淹れてみないか、というお誘いであった。

「……やっていいの?」

 ちょっとびっくりしたのか一瞬子供のように問いかけたアルガ。
 しかしわざとらしい咳払いをしたあと、コーヒーの淹れ方を教えてくれるというノムラの許へとついて行く。

 ついた場所は副長室。副長室はコーヒー豆の匂いが充満しており、ある種の人たちにとっては嫌悪感を示す場所だろう。
 ある種の人とは、コーヒー嫌いなアルガも含まれている。

「これでも換気はしているんですが、何分空気の溜まりやすい艦内ですので少々キツイとは思いますが……」
「私は大丈夫よ……」

 少々顔を顰めながら答えるアルガ。それを理解したのか、ノムラはいくつかの機材を持ち出して早々と部屋を出る。
 そしてもともとの場所にいた艦橋へと戻ってきたのだ。

「ミル、フィルター、ドリップポット、サーバー……」

 不思議な呪文を唱えるアルガ。ノムラは興味津々にそれらを見つめていた。それは、新しい玩具を目にする子供のように。

「豆はクリスタルマウンテン。30グラムをミルで粉々にし……」

 と言ってノムラは袋に入った黒い豆をミル――豆を粉々にしていく機械の中へと適当に放り込んでいく。
 最初はお手本で上の取っ手を回していたノムラだが、途中でアルガに任せる。

「そうやって回していって、中に入っている豆を粉々に……」
「うん……」

 なにも知らない者が見ればそれは親子の作業に見えるだろう。
 事実、艦橋に入り辛そうにしている者、艦橋にいてバツの悪そうな顔をしている者までいる。

「まだかな?」
「あともうすこしですね。それができたら粉をフィルターにセットしたこの紙の中に入れて」
「うんうん……」

 だが、二人はそんなことを知ってか知らずか、周りの事など気にせずフィルターに挽いた豆を入れていく。
 挽かれた豆は平らに均され、三角形のサーバーの上に。

 その上からポットのお湯を垂らし、フィルターに入れられた豆を湿らせていく。

「こうやって豆を湿らせて蒸らしていくんですよ。蒸らし時間が長いほど苦くなるので……艦長は苦いのが嫌いですので、まァこれくらいの蒸し時間でいいでしょう」
「う、うん……私、苦いの苦手だから」

 アルガはいつものようのな威厳ある艦長ではなく、今はただ好奇心に身を任せるただの幼い少女だった。
 そのギャップから気まずくなる艦橋の乗員や苦笑する乗員もいるが、二人は気にしていないようだ。

 そうしているあいだにポットからお湯が注がれる。挽いた豆は泡立ちながら膨らみ、アルガはそれを津々に見ていた。
 フィルターから一筋のコーヒーが流れ出る。

「艦長、やってみませんか。お湯が少なくなりそうになったら足せばいいので」
「やってみるよ!」

 ノムラからポットを受け取ったアルガは、不安定ながらも靴を脱いで椅子の上に立ち、ゆっくりと、集中するようにフィルターへとお湯を注いでいく。

「ん、その調子ですよ、艦長」
「………………」
「そこに書かれている、3という目盛りのところまでその調子で入れてみましょうか」

 ゆっくりとうなずくアルガ。入れる事に全精神を使っている事がノムラにもわかる。

 落ちていく一筋のコーヒーは、サーバーへ。目盛り2を過ぎ、3へと差し掛かる。

「これくらいでいいの?」
「上出来ですよ、艦長。せっかくだから船務長にも飲んでもらいましょうか」

「え、自分がでありますか……?」

 ちょうど艦橋にやってきた船務長。廊下へと漏れてくるこの話を聞いていなかったわけではないが、まさか自分が指されるとは思っていなかったようだ。

 ノムラはサーバに落ちたコーヒーを、3つの温めておいたマグカップへと淹れていく。
 そしてその一つをノムラは船務長に渡した。

 船務長はかるく会釈して受け取り、注がれたコーヒーを飲む。
 ノムラ主導とはいえ、アルガの淹れたコーヒーの感想は、

「少し酸味が強いですが、非常に飲みやすいかと。コーヒー初心者でも安心して飲める味なのでは? 私はおいしいと思います」
「……よかった」

 アルガが安堵し、立っていた椅子に座った。が、その束の間、その目の前にはノムラが持つコーヒー入りのマグカップ。
 一瞬たじろいだアルガだが、いつもとは違って受け取るのを渋るような仕草はしなかった。

「艦長のには特別、ミルクとシュガーを入れてありますよ。……大丈夫です艦長」

 アルガは例のように少しだけ黙り込む。そして覚悟を決め、アルガはコーヒーを一口飲んだ。

「……甘くて、おいしい……」

 それを聞いたノムラは自然とアルガの頭を撫でていた。

「!」
「し、失礼しました!」

 前回と同じような過ちを犯してしまったノムラはすぐに手を引っ込める。
 同時に船務長は「私は用事がありますので」と艦橋から出ていき、乗員達は交代の時間等と言ってどこかへ行ってしまった。

 ノムラがアルガにやった事は侮辱罪にあたる。ノムラはそれを覚悟でアルガの言葉を待っていたのだが……

「副長、お願いがあるのですが……」
「な、なんでしょうか……?」

 沈黙の時間が流れる。
 空のサーバーの上に再び置かれたフィルターからポタリポタリとコーヒーの雫が落ちる音だけが艦橋内に聞こえる。

「……頭を撫でてほしいんです」
「…………あいつら」

 乗員達が気を利かせたのか分からいないが、今艦橋には二人しかいない。
 ノムラはアルガに言われた通り、その金髪の頭をゆっくりと撫でていく。

 アルガそのコーヒーの味に慣れたのか、一口ずつだが飲んでいく。

「……やさしい味がします」
「それは艦長が淹れたコーヒーです。艦長は、私も含めクルーの事を考えている。それがコーヒーの味に出ているのでしょう」

 アルガはコーヒーを飲みほしていた。。
 そのマグカップの底にはコーヒーの粉が残っているが、その粉が描いているのは人の形。

「もうすぐ、作戦区域ですね」
「ええ、艦長は駆逐艦冬月で祖国に戻られないのですか?」

 この作戦艦隊には駆逐艦冬月を含む駆逐艦艦隊が随伴している。これは作戦決行前に傷病者を祖国へと輸送する為の艦隊。
 発動すれば戻る事ができない決死の作戦の為、この駆逐艦艦隊は最後の命綱となっている。あるいは三途の川の渡し船か。

 ノムラの問いにアルガは首を横に振って否定した。

「みんなを置いて行きたくないです。みんな仲間だから」

 現場叩き上げのノムラからしてみれば、アルガの思想はヒヨッコ同然の青い思想であった。
 しかし、数か月の間共にしたノムラはアルガを娘のように思っている。ノムラとしてそれは叶えてあげたい願いでもあった。

「私、コーヒー飲めました! もう大人なんです! 私は……! 私は、ずっとノムラ副長と一緒にいたいのっ!」

 それは一人の乙女の言葉。
 ノムラはこの言葉の意味を理解した。伊達にアルガより年を取っているわけではない。

 だから、ノムラは……アルガを自身の許へと引き寄せ、抱いてあげる。

「俺だって君と一緒にいたい。私にとってアルガ、君は私の娘のような存在だ。いや、もしかしたらそれ以上の存在かもしれない」
「ノムラ副長……」

「だからこそ、君は生き残るべきだ」
「?」

 刹那、ノムラの鳩尾に鈍痛が走った。
 一瞬何が起きたのかわからないアルガ。ノムラはすぐに廊下で待機しているだろう航海長を大声で呼ぶ。

「航海長! 艦長が体調不良だ! 装甲車で冬月まで送ってくれ!」
「……はい、手筈は済んでます、副長」
「すまないな、航海長」

「ま、待って……ノムラ副長……私は……みんなと……」

 息を切らし切らし、弱弱しく言うアルガ。しかし、ノムラはアルガに背を向けたまま

「ご安心を、艦長。皇国の未来、我々が切り開いて見せます。艦長にはそれを見届ける義務がある。航海長、あとは頼んだ」

 苦しそうに抵抗するアルガ。しかしアルガはまだ弱冠12歳の子供。
 幼年士官学校を首席で卒業したとはいえ、現役軍人にかなうはずはなかった。

「ノムラ副長……いやだ、いやだよう……」

 子供のように泣きじゃくるアルガ……
 気づいた頃には装甲車に載せられ、冷たい空気を浴びながら浮沈艦と謳われる大和から離れていた。




「最期の戦いだ。未来の子供達の為、回天作戦……敵工業地帯への攻撃を開始する! 全艦、進め!」






 5 -祈念-

 終戦から10年が経った。どちらが勝ち、どちらが負けというわけではない。
 喧嘩両成敗というべきか、片方は主戦力の消失による戦争継続不能に陥り、もう片方は主力工業地帯の消失により戦争継続不能に陥って停戦条約、そして講和条約を締結せざる得なかったのだ。

 だが、10年経った現在、平和なはずのこの砂漠に、1隻の駆逐艦が走行していた。
 彼女は冬月。ちょうど10年前、この砂漠で最後の艦隊決戦を目の当たりにした艦だ。

「長官、まもなく目標地点です」

 自分で挽いて淹れたブラックのクリスタルマウンテンコーヒーを口にしながら、金髪の女性は電測員の報告を聞き流す。

 航海艦橋から遠くに見えるは巨大な鉄の塊。それがいくつも転がっている。
 金髪の女性はそれに見入っていたのである。

「あれが……」

 乗員の誰かが目前の鉄塊を見て言う。
 金髪の女性はそれが何か知っていた。それは彼女が愛したものであり、その国の象徴だったもの。

「弩級陸上戦艦、大和」

 そして、ぽつりとつぶやく。

「装甲車準備! 私はアレに乗り込むわ」
「ハッ! すぐに用意させます、長官!」

 そして金髪の女性はコーヒーを飲み干す。マグカップの底に残った粉は満月を描いていた。

「そういえば、今日は満月だったわね。こんなにも月がキレイなのだから、今日はきっといい事があるわ」



 冬月の目前にある鉄塊。それは戦艦。
 彼女の言う大和と、武蔵、信濃、紀伊、赤城の残骸だ。

 砂漠化の影響でどれも風化しているが、大和だけはまだ原型を保っていた。

「長官、中は危険では……」

 金髪の女性は従者の言う事を無視して、酸化して今にでも折れそうな鉄梯子を登っていく。
 登り切った先にはハッチ。

 金髪の女性はハッチに手をかけるが、かける前に酸化した鉄の扉ごと前に倒れてしまう。
 艦の中へは容易に入る事ができた。

「艦内は浸食されていないのね」

 艦の甲板には既に砂がかかり、もはや砂漠の一部と化していたが、艦内は気密性が高く作られていたせいか、まるで時が止まっているかのようだ。

 振り返れば、いつも自分にサイダーを渡してくれた酒保のおじさんや、自分の頭をぽんぽんと叩いていた部下がいるような気がする。

「艦橋はこの上……」

 そしてさらに階段を登り、大和の航海艦橋へと辿り着く。

 航海艦橋は阿鼻叫喚の光景だった。赤く染められた壁、白骨化した遺体が転がっている。

 その中、金髪の女性は床に散らばるマグカップの破片を見つける。
 それはかつて彼女が愛用してたマグカップであり、思い出深いシロモノであった。

 そしてその奥に白い軍服を纏った遺体が一つ。
 軍服に縫われたその者の名前は

「ノムラ……副長」

 手には彼の愛用品であるマグカップ。割れている様子はない。

 そして彼――ノムラを見つけた金髪の女性――アルガは目に涙を溜めて、ノムラに報告する。

「副長、艦長アルガは今、ここに帰ってきました。私、連合艦隊の長官になったんです。ノムラ副長のおかげでコーヒーも飲めるようになったんです。私、もう、子供じゃないですよね……」



「ああ、君は立派な大人だ、アルガ」

 ノムラのマグカップの底には、二つの指輪が重なった模様が描かれていた。


付録

大和型陸上戦艦一番艦 大和
全長   263m
全幅   38.9m
機関   艦本式木炭気缶12缶
主機   合成ガスレシプロ機関
出力   約150000馬力
最大速力 51km/h
兵装   ・45口径46cm3連装砲3基
     ・60口径15.5cm3連装砲4基
     ・40口径12.7cm連装高角砲6基
     ・25mm3連装機銃8基

周辺諸国からの侵略を将来にわたって阻止する為、将来出現するであろう大型戦艦に対応できる性能を有している。
航空機はまだ発展途上の段階である為、対空装備は少ないものの対艦能力は当時最強と言える。

機関は当時としては異端となる代燃炉が使われている。
石油が枯渇した現在、本来ならば戦艦クラスには石炭気缶などが使われるが、自国の鉱物資源不足から改良型の木炭気缶を搭載した模様。

戦争末期、敵対国特攻作戦の先駆けとして出撃。敵対国工業地帯壊滅と引き換えに撃沈される。
しかしこの特攻作戦が戦争終結へと導いた。


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